勝ちやすい簡単な相場の探し方

 

 

FXをやっている方の中には、さぞ特別な判断力や嗅覚を持っているんじゃないかと考える方もいるようです。でも、正直に言えば、人間の判断力、考えるレベルにはそう大きな差はありません。

皆さんが「相場は上がるだろうか、下がるだろうか」と考えてもわからか、なら、私もほかの大多数の相場参加者もわからないことが多いのです。もちろん中には天才的な人もごくまれにいます。でも、9割以上の人は同じ感覚で同じように考えます。自分がわからないときは、みんなもわからない、そう割り切ることも大切です。

相場が動き出すと一方向へ急激に動くことがよくあります。それまで「わからないなあ。難しいなあ」とモヤモヤしていた9割以上の人が、相場の方向感が明確になったことによって、いっせいに同じように判断して同じような取引を行うために強い値動きが発生するのです。そうしたときには得てして、ファンダメンタルズ分析でも同じ方向を示唆するニュースが流れています。

具体的な例をあげてみましょう。2010年初頭、ユーロが大きく下げました。このユーロの下落に対して意外感を持った方もいたようですが、私は前年からザっとユーロが下がるんじゃないかと言い続けていました。

特別な情報があったわけではありません。誰にでも人手できる情報を常識的な感性で判断しただけです。ユーロという通貨が導入されたのは1999年。それから2007年にサブプライムローン問題が表面化するまでずっとユーロは好景気が続いていました。

 

 

“壮大な実験”と言われたユーロですが、導入以来、探刻な試練には直面しないままに10年近くが過ぎていたわけです。人類史上未曾有の歴史的な実験でありながら、壁にぶつかることもなく、そのままうまくいくわけはないだろうと考えるのは、特別な判断でしょうか。真っ当な感性であれば、誰もが浮かべる疑問でしょう。必ずどこかで大きな試練にぶつかるだろうと考えていました。

では、どんな試練がありうるのか。ユーロという通貨を採用するには財政面などの条件が課されています。いつか、参加国がその条件を満たせなくなることがあるのでは…。それしかないだろうと思いました。条件を満たせなければユーロという通貨を放棄しなければなりませんし、かと言って条件を緩和すれば、さらなる混乱が待ち受けていることは自明だという、悪循環です。

この悪循環が起きうるのは景気が悪くなったときです。不景気になれば景気対策で大規模な支出をせまられ、財政は悪化します。そうすればユーロの採用基準を満たせなくなる国が出てくる可能性もあるでしょう。

こうした試練が現実化する可能性はつねに頭にありました。そんな中で2010年になって噴出したのがギリシャの財政不安です。潜在的な問題がいよいよ表面化したわけです。しかも世界経済の先行き不透明感が強い中で顕在化したニュースだったので、「これはみんながユーロ売りで強く反応するだろうな」と考えることは容易でした。

ここまでがファンダメンタルズ分析、ニュースをもとに考えた結果です。特別に難しいことではなく、皆さんでも同様のプロセスをたどって考えることはできたのではないでしょうか。

 

 

さて、次にチャートに目を移してみます。ユーロ/米ドルのチャートは、当時、米国発の金融不安が尾を引いていたこともあり、ドル安・ユーロ高が続いていました。

ちょっと話が変わりますが、値動きとはゴムのようなものです。ゴムを強く引っ張ると、手を離したときパチンと強い勢いで縮みます。逆に言えば、引っ張られていないゴムが自然に縮むことはありません。

ゴムを引っ張っているか、あるいは引っ張ったゴムを放したか、ゴムが大きく動くときには必ず要因があります。エネルギーと言い換えてもいいでしょう。エネルギーがたまっていなければ相場は大きく動きません。

さて、ユーロ/米ドルのチャートに話を戻すと、2010年初頭、ギリシャ問題が噴出した当時というのは、まさに伸びきったゴムを手放した瞬間に近い状態にありました。蓄積されたエネルギーが解放された直後と言ってもいいでしょう。テクニカル分析から考えても、トレンドラインを明確に割り込んでいました。

そこへ飛び込んできたのがギリシャのニュースですから、山を駆け下りている人の背中を押すようなものです。ファンダメンタルズ分析とテクニカル分析が一致した、非常に簡単な相場です。

銀行のディーラーを見ても、チャートだけを見て判断している人は少数派です。多くのディーラーは私と同じように考えて取引したでしょう。考えるレベルに大きな差があるわけではないのです。

では、プロ、個人にかかわらず、為替で勝てる人と負ける人、どこで差が出るのか。それはひとえに「感性」です。ギリシャのニュースは誰もが耳にしたでしょう。ユーロ/米ドルのチャートは誰もが目にしているでしょう。誰もが耳にし、目にできるものから何かを読み取ろうとするのか、あるいは、漫然と眺めるだけなのか、そこには大きな差があるのです。